日本の染色
について
 



着物原画木版画
「紅葉」

 

室町時代から桃山時代にかけて、小袖が普及すると、それにふさわしい文様装飾がおこなわれるようになった。

 片身替や段替といった構成のなかで色彩や文様が対比されたり、あるいは同じ文様を繰り返す織物よりも自由な絵文様を表すことができる刺繍や染物が好まれるようになった。

「辻が花」は、そうした時代の要求に応じた文様染として、当代の感性を表情豊かに小袖に表現した。

辻が花がいつごろ生れたのかは定かでないが、室町時代後期から枕山時代にかけて小袖が社会的に服飾の中心となると、そのデザインにも多様性が求められ、辻が花が大きな進展をみせることになった。

いまのところ、制作年の下限が判るもっとも古い辻が花は、享徳三年(一五三〇)に幡に仕立てられた〈藤波桶文様裂幡〉である。

これは肩裾小袖の表を利用して幡に仕立て替えたもので、萌葱の地染りに藤や波頭、桶の文様を表した裂は、文様の一部を藍に染め、白く仕上げた部分には銀や金の摺箔を置くなどの施工がうかがえる。

現在呼ぶところの辻が花の特色は、縫い締め防染によって文様を表すことにある。文様の輪郭を縫い絞って防染し、文様を表現する。それは鹿子絞りのように絞り味の面白さをねらったものではない。絞ることは手段であり、目的は文様の形象を表すことにあった。


防染の様子。昔はビニールでなく、竹の皮で防染したといわれる。

 

そして、絞り染めでは表現しえない文様の微妙な線を墨の描絵で補い、さらに摺箔、刺繍などの他の技法を援用して、融合的な美しさを創出した。紅や萌葱の明るい地色を白く抜き、桜・藤・菊・椿など花奔の一枚一枚を繊細な墨の線でくくり、外から内へぼかしを入れる。



復元された技法で制作した辻が花。

墨で輪郭を取る。

さらに葉には白揚げや墨の描絵で、病葉や蕗の玉をあしらったりもする。絞り染と墨の措絵とが絶妙に調和し、あるいは金や銀の摺箔が華やかな彩りを添えることで、辻が花はさまざまな表情を見せた。